ウェルビーイングセミナー開催

京都大学総合生存学館ソーシャルイノベーションセンター

ウェルビーイング連続セミナー2022

2022年7月〜11月
ウェルビーイング(幸福感、心の健やかさ、生きがい)を実現することは、現代社会では必ずしも容易ではありません。
この連続セミナーでは、経済的豊かさの追求だけでは達成困難なウェルビーイングの特徴を、いくつかの切り口から見て行きます。

お問合せwellbeing.series.seminar@gmail.com

お申込先:https://forms.gle/41VntFqokH3yLdEL8

 第1回ウェルビーイングセミナー

:社会的共通資本からウェルビーイングを見つめる

:7月19日(火)18時〜19時30分

場所:オンライン開催

講師:占部 まり:宇沢国際学館・代表取締役

略歴:内科医(東京慈恵医科大卒)、宇沢国際学館取締役。地域医療に従事するかたわら、父である故・宇沢弘文(経済学者、文化勲章受章者)博士の教えが今の時代の社会課題の解決にとって重要性が増しているとして、宇沢の「社会的共通資本」をより多くの人に知ってもらうための活動を行う。京都大学「人と社会の未来研究院」にて、社会的共通資本の未来寄付研究部門が2022年5月1日に設立された。環境問題や教育・医療など社会的共通資本を軸に横断的な研究が期待されている。

要旨:社会的共通資本とは、経済学者の宇沢弘文氏(1928-2014年)が提唱した概念で、すべての人びとが、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力のある社会の安定的な維持を可能にする自然環境と社会的装置のことで、これを社会共通の財産とする考え方です。ここでは、この考え方に沿って、この理論とウェルビーイングの関係性について考えます。

 

 

 

 

 

 

講演要約:2022年7月19日

「社会的共通資本から見るウェルビーイングそしてビーイングへ」

 宇沢国際学館 占部まり

1.ウェルビーイングと社会的共通資本

ウェルビーイングは幸福感、心の健やかさ、生きがい、などと表現できるが、それは経済的豊かさの追求だけでは達成することは困難である。この両者をつなぐものが父「宇沢弘文」が提唱した社会的共通資本という概念である。人類に大きな影響を与え始めた地球環境問題や政情不安、今我々は大きな転換点にあり、新しい資本主義が求められているがそれを支えるものこそが「社会的共通資本」という概念なのだと思う。

1891年のローマ教皇の“新しい回勅”の副題は「資本主義の弊害と社会主義への幻想」であり、1991年に宇沢はローマ教皇の“新しい回勅”の100年記念の回勅の副題を「社会主義の弊害と資本主義の幻想」と提言し採用された。社会主義と資本主義の間を行ったり来たりしながらも豊かな社会の構築に至っていないことを伝えているのではなかろうか。

ジョン・スチュアート・ミルは「経済が右肩上がりでなくても人々の暮らしが生き生きしている定常状態を考えるのが経済学である」とし、「定常状態」を支えるのがリベラリズムであるという立場にたった。リベラリズムとは、政治的権力、経済的富、宗教的権威に屈することなく、一人一人が、人間的尊厳を失うことなく、それぞれが持っている先天的、後天的な資質を充分に生かし、夢とアスピレーションとが実現できるような社会であり、人間の精神の自由と尊厳を守るものである。それこそがウェルビーイングであり、社会的共通資本の支えが必要不可欠である。

社会的共通資本とは、『1つの国ないしは、特定の地域に住むすべての人々がゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置』と定義される。ゆたかな社会に欠かせないものであり、人間の精神の自由と尊厳を守るものである。したがって、社会的共通資本を守るということは、大切なものをお金に変えないということであり、自分の想像力がおよばない人々も守るということである。

2.父 宇沢弘文の人生

1951年(昭和26年)東大数学科を卒業したものの、貧困と混乱の中、数学のような貴族的な学問をしている場合ではない、との思いから経済学へ転向、宇沢の書いた論文を評価したスタンフォード大のケネス・アロー教授のもとで研究、1964年、新自由主義の牙城であったシカゴ大学へ移る。その先鋒はミルトン・フリードマンであり、あらゆるものに自由競争を取り入れた市場原理主義を基本にした経済思想で、麻薬の自由化も容認している。麻薬中毒になって人生を棒に振ったとしても、自らの選択で麻薬の快楽を得た責任とする。(注;1980年代のレーガノミクス、日本のアベノミクスはこのような概念を政策に取り入れた)。しかし、薬物依存は、近年では社会的要因が大きいと考えられているので、自己責任のみで考えるのは無理がある。このような環境の中で宇沢は数理経済学の研究を進めた。当時のシカゴ大学はベトナム反戦運動のメッカであった。成績の悪い学生や反戦運動をしている学生から徴兵されることから、重大な契約違反になることを承知で宇沢らは学生の成績をつけないことにした。ルールを守ることも大事だがそれを超えることもウェル・ビーイングの大事な要素ではないか。一方で自由で学際的な雰囲気が変化していることなどを理由に1968年東大に戻ることになった。帰国して驚いたのは豊かさを失った日本だった。かつての子供の遊び場が道路になり、水俣病に代表されるように、公害に無頓着で、弱者を犠牲にしても高度経済成長を目指す社会だった。大切なものをお金に変えない経済学の重要性がより鮮明になり、「自動車の社会的費用」(1974)―自動車の社会的費用、社会への不利益(交通災害、騒音、大気汚染など)を、従来の数千円から十数万円ではなく、1年間1台当たり約200万円が必要であるとした―を執筆し、社会的共通資本の骨格を創成した。

3.社会的共通資本と医療 ウェルビーイングからのビーイングへ

社会的共通資本としての制度資本を考える時、教育と医療が最も重要な構成要素である。

医療の本質はサービスではない、信任である。その信任を基礎に、社会的共通資本は専門家集団によって、高い倫理観と知識を持って運営されなければならないし、官僚的であってはならない。その条件が成立している場合、医療が経済に合わせるのではなく経済が医療に合わせる仕組みを考えるのが経済学者の役割とした。(コロナを考えれば、お金があろうがなかろうが誰でも罹患する)。

2040年には軽度の認知症患者が18歳以下の子どもの数を上回るとも予想されている。認知症のレッテルを貼って社会から孤立させるのではなく、人とのつながりを維持できるようにすることが重要ではないか。様々なデータが人とのつながりの健康への影響が大きいことを示している。人とのつながりがウェルビーイングを支えているとも言える。

これまでの健康の定義は病気がない状態、精神的に満たされている状態で、現代社会で健康な人はほとんどいない。オランダから始まったポジティヴ・ヘルスとは、困難な状況に立ち向かう能力を健康と定義する。誰でも健康になれる可能性を持つ考え方だ。イギリスでは社会的処方が法制化されており、導入された地域では、救急車の出動回数も減り、費用も下がる、と言った報告もある。また、認知症の方々にアートを“処方”することにより認知症周辺症状が緩和されるという。

心の底から死にたいと思っている人はいない、患者や家族が困ったことを医師に託すという信任関係であればできることはいくらでもある。その人がどう生きたいのか、それぞれの生き方に対して治療を考える時代なのだろう。

そこにあるだけの価値、そこに居るだけの価値へシフトして行く必要を感じており、ウェルでなくても、ビーイングという価値が重要になる。ウェルでなくても存在できる、ありのままで受け入れられる場が現代社会に求められているのではないだろうか。

4. 未来を創る

地球は何度も絶滅の危機を乗り越えてきた。今も6度目の絶滅機にあると言われているが、人間であるからこそできることもある。例えば、「協生農法」、混成密生させる事により植物が助け合って成長する、拡張生態系というフィールドを作ることができる。教育現場では、生態系からそこに存在する価値、ビーイングを考えることができる。多様な生命体がお互いに助け合って育つことを体感できる。豊かな社会の管理運営には高い倫理観と緻密な臨場感を併せ持つ必要があり、それには高い視点と実装(鳥の眼とアリの眼)から次世代へつなぐことが重要で、そのために京都大学に「社会的共通資本と未来」寄附研究部門が設立された。

人間は成長を求める生物、今求められているのは新しい形の成長であり、それは、ローマクラブ「成長の限界」への解でもある。経済は人間の心があって初めて動き出すものである。どう動かすかが未来を創る。次世代に確実に伝えるべき、平和もまた掛け替えのない社会的共通資本なのだ。

宇沢弘文

宇沢弘文(1928〜2014)は、ノーベル経済学賞に一番近い日本人と言われながら、人間の心を経済学に取り入れることを模索していた異色な経済学者。1950年代から、資本主義の問題点に向き合い、市場原理主義からの脱却、”新しい資本主義”を訴えていた。

占部まり

1965年シカゴにて宇沢弘文の長女として生まれる。1990年東京慈恵会医科大学卒業。1992~94年メイヨークリニックーポストドクトラルリサーチフェロー。地域医療に従事するかたわら宇沢弘文の理論をより多くの人に伝えたいと活動をしている。2015年3月には国連大学で国際追悼シンポジウム開催、2019年に日経SDGsフォーラム共催『社会的共通資本と森林』『社会的共通資本と医療』など。宇沢国際学館代表取締役、日本メメント・モリ協会代表理事、日本医師会国際保健検討委員。JMA-WMA Junior Doctors Network アドバイザー。国土緑化推進機構森林SDGs研究委員。

                    文責 石田秀輝

 

 第2回ウェルビーイングセミナー

:認知症予防から考えるウェルビーイング

:9月26日(月)18時〜19時30分

場所:東一条館大講義室(対面30人+オンライン)

講師:積山 薫:領域代表 総合生存学館・教授

略歴:認知心理学者。早稲田大学教育学部卒、大阪市立大学文学研究科で博士の学位取得。金沢大学文学部、公立はこだて未来大学システム情報科学部、熊本大学文学部などで認知心理学を教えた後、2017年から現職。心理学、認知神経科学の手法を用い、知覚や認知に関する子どもの発達や高齢者の加齢変化について研究。最近は、認知症予防に関連した研究と地域における実践をおこなっている。

要旨:人生100年時代の脅威である認知症は、かなりの部分が予防できるかもしれません。今、世界中で、色々なライフスタイルが認知機能に及ぼす効果について、研究がおこなわれています。ここでは、そうした研究の一端をご紹介するとともに、その限界についても考えます。また、老いを直視して備えることの重要性、「良く死ぬ」には何が必要か、などについても問題提起したいと思います。高齢期には、身体機能低下、交友関係縮小などの一見ネガティブな状況が増えるのに、幸いなことに、主観的幸福感が維持される現象が知られており、良く生きることのヒントとなるかもしれません。

 

 

 

 

 

講演要約:2022年9月26日

認知症予防から考えるウェルビーイング

 京都大学総合生存学館教授 積山 薫

人生100年時代といわれるが、実は75歳頃から援助が必要になる人が急激に増加するため、健康寿命、つまり自立期間延伸が重要な課題となっている。これに関して本日は以下5つの点について話したい。

1.認知症の基礎知識

認知症の定義は、一度獲得した認知機能が脳の病変によって低下した状態をいうが、加齢とともに認知症患者は増える。認知症の種類としては、アルツハイマー (AD) 型が6割以上、血管性の認知症が約2割、その他にレビー小体型、前頭側頭型などがある。AD病理は、記憶低下が観察されるよりずっと前に始まって時間をかけて進行する。認知高予備力の人では低予備力の人より⻑く病理に耐えるため記憶低下はより遅く現れる。認知予備力は学歴などに関連する可能性がある。

2.認知症を予防するには︖

認知症を予防するにはどのような手段があるかということについて、世界保健機構(WHO)のガイドライン「認知機能低下および認知症のリスク(2019)」によれば、リスクを低減する活動には、その効果について強いエビデンスはないとされているが、推奨している活動がある。私は、認知症を抑える生活習慣として、認知的刺激、社会的交流、運動、栄養睡眠が有効と考えている。脳科学者としては、睡眠中の脳のゴミを取り除く働きは大切であると考えている。また良い睡眠は昼間の活動的な生活で得られると思われる。

3.体と頭を鍛えて認知症予防(研究紹介)

体と頭を鍛えることにより認知症予防の効果をはかる研究として、積山研究室では、運動と楽器練習の効果についてのMRIの脳画像を使った研究を行ってきた。楽器練習では、高齢期における数ヶ月の介入研究と、生涯にわたる長期的訓練の影響をみる横断研究を行った。運動が認知機能維持や認知症予防に効果的であることを示す研究は多い。しかしながら、有酸素運動(歩行)介入により、海馬の体積は増大するが、記憶成績は必ずしも伸びないので、太極拳のように認知的要素を含む複合運動が効果的と考えている。我々の研究では、高齢者への3か月の複合運動介入で前頭前野の灰白質容積の増大が見られ、この増大は認知機能の向上と相関があった。一方、横断研究において、長年のスポーツ経験の有無では、認知能力では差は見つからなかったが、高齢アスリートの頭頂葉には非アスリートより大きい部位がみつかり、頭頂葉内側部の楔前部の容積はスポーツ開始年齢と相関していた。継続的なスポーツ訓練で楔前部の容積が維持されることで、より高齢になった時に認知症のリスクが低減される可能性がある。

音楽訓練の効果については、若年成人において多くの知見があるが、高齢者については脳画像を用いて調べた研究が乏しい。我々が行った高齢者への数か月の楽器介入(鍵盤ハーモニカ訓練)では、言語記憶が統制群より向上し、神経処理が効率化(被殻と上側頭回の結合の低下)したことがわかった。横断研究(音楽マスターズ)では、高齢音楽家の小脳には容積が非音楽家よりも大きい部位があり、その部位は非音楽家では年齢とともに萎縮していたが、音楽家では維持されていた。これらの研究の結論として、運動や楽器練習は一定の効果があるが、作用機序は両者で異なる。また高齢期の数ヶ月の訓練と、早期に開始する生涯的な訓練では、作用が異なることがわかった。しかしながら、対象者のサンプリングなどで高齢者研究の難しさも感じており、1つの研究結果をどこまで一般化できるかは不明である。

4. 高齢期の幸福

高齢期の幸福、ウエルビーイングについて考えてみたい。ポジティブ心理学ではPERMA (Positive emotion, Engagement, Relationship, Meaning and purpose, Achievement)などの要素が幸福感を増すと考えられている。またイブ・ジネスト氏(ユマニチュード創始者)が指摘するように、高齢者へのアプローチは、そのステージによって違う。高齢になると、目標設定を「成⻑」から「維持」「喪失回避」にシフトすることで主観的幸福感を保っている。社会的交流は大切で、社会的な絆を持っていない人は認知症リスクが高まる。高齢期には、身体機能低下、交友関係縮小などの一見ネガティブな状況が増えるのに、主観的幸福感は維持されるという不思議な現象があるが、社会情動的選択性理論、つまり高齢者は否定的な情報より肯定的な情報を選好する傾向があるということで説明できる。人は、老いても幸せに生きるすべを持っており、老いて幸せの達人になるのかもしれない。

5. 終末期に向けて

終末期のアルツハイマー病の進行の具合を子供時代へ逆戻り「逆発生」のプロセスと考えると、それは死に至る自然の過程なものと考えることもできる。ユマニチュードのイブ・ジネスト氏は、高齢者へのアプローチとして、人間らしさを取り戻す認知症ケアを提唱している。介護対象としてだけ扱うのでなく、1人の人間として尊重するために「見つめる」、「話す」、「触れる」、「立つこと」を介護に入れることで、介護を通じて心を通わせることができ、人間としての尊厳を取り戻すことができる。その視点からは、日本における延命治療の現状、つまり高齢者を寝たきりにし(立たせない)、食べられなくなると胃ろうなどをして手をベットに縛り付けるなど自由を奪う医療に疑問を感じる。欧米では高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると皆が認識している。このように終末期についてさまざまな見解があるが、認知症予防だけでなく、家族会議で終末ケアについて定期的に議論するなど、終末期と向き合う準備が必要だ。

 第3回ウェルビーイングセミナー

:地球環境を考えた暮らしとウェルビーイング

:10月27日(木)18時〜19時30分

場所:東一条館大講義室(対面30人+オンライン)

講師:石田 秀輝:地球村研究室代表・SIC特任教授

略歴:2004年㈱INAX(現LIXIL)取締役CTO(最高技術責任者)を経て東北大学大学院環境科学研究科教授、ものつくりとライフスタイルのパラダイムシフトに向けて国内外で多くの発信を続けている。特に、2004年からは、自然のすごさを賢く活かすあたらしいものつくり『ネイチャー・テクノロジー』を提唱、2014年からその上位概念である『心豊かな暮らし方』の構造の一つである『間抜けの研究』を鹿児島県沖永良部島へ移住、開始した。地球村研究室代表、(一社)サステナブル経営推進機構理事長、星槎大学サテライトカレッジin沖永良部島 分校長他

近著:「2030年の未来マーケティング」(ワニプラス 2022)、「危機の時代こそ、心豊かに暮らしたい!」(KKロングセラーズ2021)「バックキャスト思考で行こう!」(ワニブックス2020)、「人間の役に立っている ありがた〜い生き物たち」(リベラル社2019)「Nature Tech. & Lifestyle」(Stanford Pub.2019)ほか多数

要旨:地球環境は人類を維持するのにほぼ限界状態にあり、このままでは2030年ごろには文明崩壊の引き金に手を掛けるところまで劣化している。一方では経済システムも限界であり、過去の成功体験が全く通用しないことも(日本では)この30年で明らかになっている。環境と経済は今の資本主義の形態(金融資本主義あるいは市場原理主義)では表裏の関係にあり(例えば宇沢弘文、最近では斎藤幸平)両立しないのだ。
では、心豊かに暮らすということを前提に環境と経済を両立させるにはどのようなアプローチが求められるのか。今回のコロナ禍が一つの解を提示してくれた。それは「個」のデザインであり、それをプラットフォームとした社会システムだと考えている。
テクノロジーではイノベーションは興らない、ライフスタイルがイノベーションを創成するのだと思う。

 

講演要約:2022年10月27日

「地球環境を考えた暮らしとウェルビーイング」

 石田 秀輝:地球村研究室代表・SIC特任教授

今日は「地球環境を考えた暮らしとウェルビーイング」というお話をいたします。現在、私たちは2つの限界状態を迎えています。1つ目は地球環境そのもの、そして2つ目は経済システムです。地球上の人工物は肥大化しすぎ、このままのライフスタイルを続けると2030年までに、私たちはエネルギーを50%、水を40%、食料を35%も増やさなければなりません。しかし、これらは実現することも、維持することも不可能です。そして限界を放っておくと、人類は文明崩壊の引き金を引くことになります。

そのためには次なる定常化社会へ移行しなければなりません、それは、地球環境に対する負荷をいかに縮減するか、そして同時に、縮減したとしても豊かであることが、地球環境を考えたウェルビーイングの大きなポイントだろうと考えています。さらには、縮減しないで何かを控え、我慢し、今使ってるエネルギーを再生可能エネルギーに置き換える、などいわば「置き換えのテクノロジー」はもはやほとんど意味がありません。

現在、地球環境を考えると、豊かな生活を我慢するしかない、とほとんどの子どもが思っています。しかし、子どもたちに我慢を強いるのではなく、彼らが未来を考える時、ワクワクドキドキ、笑顔のあふれるライフスタイルを描くことができる、というのが人類にとっての、「縮減しても豊かな暮らし」です。

その未来を実現するために必要なのが、思考回路の転換です。人間は問題への対処として、2つのアプローチができます。1つは、フォーキャストと呼ばれるもので、現在を起点とし、すでに顕在化している問題に対処することで解決しようとするものです。フォーキャスト思考で豊かな暮らしを考えると、地球環境の保全とサステイナビリティは、豊かな暮らしとは両立性がないものになります。なぜなら、地球環境問題という「制約」を、排除できないからです。その結果、フォーキャストの思考回路から考え出されるのは、節水や節電、省エネなど我慢を求める政策です。

もう1つのアプローチは、バックキャストと言われるもので、制約を肯定、ないしは受けとめたうえで未来を描く思考回路です。つまり、制約があってもワクワクドキドキ、笑顔あふれる毎日=「縮減しても豊かな暮らし」をデザインし、そこに到達するための、未来を起点とした現在に向けての道筋を示すのです。このバックキャストの思考によって「地球環境制約があっても心豊かな暮らし(縮減しても豊かな暮らし)」を描き、それに必要なテクノロジーを自然の中に探しに行き、サスティナビリティを実現するためのモノづくり、ネイチャーテクノロジーの推進が、私のライフワークの1つになっています。

「地球環境制約があっても心豊かな暮らし(縮減しても豊かな暮らし)」についての研究の結果、ほぼ間違いないと考えているのは、豊かさは「自立型の社会」にあるということです。しかし、現在私たちはその反対の「依存型の社会」に生きています。依存型というのはフォーキャスト思考と同じで、すでにある問題や生活に必要なことがらを外部(他者や機械など)が解決してくれることに人間が頼って生きることです。それが極限まで進むと、人間がやることが無くなる、つまり問題解決のためのはずの方法・手段が人間を縛り付ける、自由を奪うという生活です。

それに対し、自立型社会というのは、ちょっとした不自由さ、不便さという制約―これを「喜ばしい制約」とも言います―を個やコミュニティの知識・智慧・技で解決し、豊かな暮らしに向けて取り組み続ける、という社会です。制約を内包しつつ豊かさをデザインする、バックキャストによってウェルビーイング、愛着感・達成感・充実感が生まれるのです。
そのような自立型社会に本当に移行できるのか、具体的にどうするのか、という質問も多く受けてきました。私はコロナによって、この具体化を考察できる壮大な実験が地球規模で生じたと考えています。日本では3密という制約、つまり今までにはなかった不自由さ不便さが生じた中で、多くの人たちが多くの工夫をし、暮らし、仕事、学びをデザインしました。つまり個々が暮らしをデザインすることで新しい豊かさをつくる可能性が示されました。
限界を迎えている現在の経済システムを、「縮減」と「豊かさ」を同時に実現するサスティナブルな資本システムに変えていくことが必要です。人的資本、自然資本、物的資本、文化資本、金融資本という社会のあらゆる面の資本が循環する、その循環が相互にも関わる、というイメージです。これは新たな資源やエネルギーの消費を前提とせず、循環する、これこそが次なる定常化社会の姿だと考えています。
2030年の心豊かな暮らしのかたちは、喜ばしい制約を、個やコミュニティの智慧や知識や技で乗り越えて行くこと、それこそが自然と同化できる唯一の持続可能な暮らし方のかたちなのでしょう。それこそが縮減・自立であり、ウェルビーイングなのだろうと思います。

 

 第4回ウェルビーイングセミナー

:正念正知―仏教学から見たマインドフルネスとウェルビーイング

:11月22日(火)19時〜20時30分

場所:オンライン開催

講師:マルク=アンリ・デロッシュ京都大学総合生存学館・准教授

略歴:仏教学者。フランスに生まれ、ボルドー大学人文科学部社会人類学・民族学科卒業。同大学人文科学研究科社会人類学・民族学科修士課程修了。フランス国立高等研究実習院 (EPHE、 パリ) 宗教学修士課程、2011年、博士号取得(文学・東洋学)。2013 年より京都大学白眉センター(文学研究科仏教学専修)特定助教。2015 年より現職。研究テーマは仏教(特にインド・チベット仏教)におけるこころの哲学と「正念正知」即ちマインドフルネス。総合生存学館では、21世紀における「良き生」を求めてマインドフルリビング研究会の担当教員。現在、オクスフォードマインドフルネスセンターと学際的な共同研究を行っている。

要旨:本講義では、仏教の概念である「念」(英訳:マインドフルネス)とその現代科学と社会で注目されているウェルビーイングとの関係性を紹介する。まず、仏教の伝統と経典における「正念正知」の原点を明らかにし、その概念が「マインドフルネス」という名前の下、現代医学・心理学において進化した流れを説明する。特に、オックスフォードマインドフルネスセンターが開発した健常者のためのマインドフルネス認知療法 (Mindfulness-Based Cognitive Therapy for Life)に焦点を置く。 以上の内容を基に、私たちが良く生き、現代の課題に立ち向かうために古代の知恵と認知心理学、東洋と西洋の統合がもたらす利点とその意義を論じる。仏教の枠組みである「四念住」(身・受・心・法)と「三慧」(聞・思・修)の再発見の可能性を考察し、正念正知、すなわちマインドフルネスの実践が苦しみの原因と幸福の基礎への探求を示唆していることを明確にする。

 

 

 

 

 

講演要約:2022年11月22日

「正念正知」―仏教学から見たマインドフルネスとウェルビーイング

 京都大学総合生存学館・准教授 マルク=アンリ・デロッシュ

今回の発表では仏教の経典における「正念正知」、そしてその英訳である「マインドフルネス」とウェルビーングの関係についてお話しさせていただきます。私が所属する総合生存学館のマインドフルリビング研究会では、良く生きるための「生の知」を探究しています。まず仏教学の文献研究や現地調査に基づき伝統から学び、哲学的な思想研究を通じて現代的な意義を明らかにし、そこで得た知見を学際的に認知科学の分野などと議論し、応用的な実証研究を行っていきます。

1.現代社会におけるマインドフルネスの意義

仏教においても、マインドフルネスにおいても、根本的な関心は「苦しみ」です。マインドフルネスとは、仏教における「念」(パーリ語 sati, サンスクリット語 smṛti)の英訳であり、複雑な語源や意味がある言葉ですが、簡単に言うと「心を今の瞬間に注意すること」と言えます。記憶力・判断力・注意力のモニター(観察機能)とも形容することができ、実行機能 (executive function) とも関係する概念です。「正念正知」とは、仏教の経典において念が実践的に説明される際に頻出する表現で、「正しく注意すること・正しく気づくこと」を意味します。念や正念正知は初期仏教の『念処経』で詳しく説明されており、この『念処経』をベースにした瞑想法が、19世紀東南アジアにおける仏教の復興後、20世紀西洋等におけるヴィパッサナー瞑想運動を通して医学・心理学に統合され、現代のマインドフルネスプログラムに繋がっています。
ジョン・カバット・ジンによるマインドフルネスストレス低減法Mindfulness-BasedStress Reduction (MBSR) は、『念処経』から来るマインドフルネスと、ストレスの生理学を統合した、科学的なフレームワークに基づいたプログラムとなっています。我々は普段無意識的にストレスを内面化し、不適切な反応をすることでまたストレスを感じるというストレスのループに入る事があります。このプログラムは、マインドフルネスを介してストレスへの適切な対応力を訓練するものです。また、その他の主要なマインドフルネスプログラムとして、マインドフルネス認知療法 Mindfulness-Based Cognitive Therapy (MBCT) があげられます。これはMBSRと認知療法を統合することにより、うつ病の発病と再発に対する治療法として発展したものです。このプログラムを通して、普段気づいていないネガティブな経験・感情の様々な側面を意識し、認識することで、無意識的に苦しみの悪循環に陥ることなく対応をすることができます。これまでの研究におけるマインドフルネス瞑想の効果として、幸福感上昇や、不安・落ち込みの低下、ストレス指標の改善など、様々なものが報告されています。さらに、オックスフォードは近年 「人生のためのマインドフルネス」“Mindfulness for Life” という、健常者を対象にMBCTを拡張したプログラムを開発しました。オックスフォードでは、仏教と科学の双方から学び、統合することで、適切なプログラム開発に挑んでいます。適切なマインドフルネスに関する理解のためには、仏教学と科学の統合的なモデルが必要不可欠だと感じています。
日本の伝統的な文化や言語(例えば、思念、専念、念入りや、注意深い、自覚等)も、マインドフルネスと深く関連しています。京都学派でも言論されてきたように、「今この瞬間」を意識的に生きることは、非常に重要と言えます。過去や将来に固執することは概念的に生きるということであり、過去の残念な気持ちに囚われると鬱につながり、未来の心配に身を任せると不安が募ります。そのため安心を得るためには、今現在の直感的な知識が重要となります。神経科学においては、トップダウン(自発的)な注意力とボトムアップ(不随意的)な注意力と区別されています。現代の情報化社会では、トップダウンな注意力は携帯のスクリーンにまで縮小され酷使され、ボトムアップな注意力は情報過多により整理が追い付かず乗っ取られてしまっています。仏教の教えは、心を広く安定させることを説いているため、この反対とも言えます。

2.仏教における智慧の発達(三慧)―聞・思・修

仏教が目指す智慧には三つの側面があります。(1)聞慧―聞いて得られる智慧  (2)思慧―思索によって得られる智慧  (3)修行によって得られる智慧。この三つの段階は、情報・知識・智慧と区別することもできます。情報化社会において得られる情報は、整理されて初めて知識となり、体得することで初めて智慧となります。現在にとって、この道を再発見することが重要だと思っています。5世紀頃に生きた大乗仏教の僧である世親は、念住の自性は三慧だと説きました。そのため、マインドフルネスの様々な側面を整理するためにはこの三慧のモデルが重要だと考えています。聞慧は憶念(記憶力)、思慧は思念(判断力)、修慧は専念(注意力)として、マインドフルネスを包括的に考えることができると思います。マインドフルネスは瞑想の事だけではなく、倫理や教育、生き方など生活のための能力と考えられます。

3.「四念住」(身・受・心・法)―苦しみから幸福へ―

念処経の中に、四念住という枠組みがあります。最初の「身念住」とは身体に専念し、意識を向けることです。原始仏教においても、身念住は雑念を超えるための方法として書かれています。常に身体に注意を向けることにより、雑念状態になることを防ぐことができます。現代の教育においても、この身体を意識した教育は注意散漫に対する対処法として、大事だと思っています。「受念住」とは感情の事ではなく、それよりもっと根本的な「楽」および「苦」の状態を指します。すぐ好きや嫌いと判断するのではなく、この根本的な感覚を意識することで、苦しみの悪循環を超えることができます。「心念住」とは、快楽や痛みに対する反応のことを指します。仏教でいう平等心の立場とは、楽と苦を超え、両方を安定的に感じることを指します。仏教では、楽と苦に倫理的な良し悪しはなく、倫理的責任はこれらに対する私たちの反応にあります。外的な要因による楽と苦に振り回されるのではなく、自分の対応をより観察できる状態を理想とします。「法念住」とは、仏の教えや宇宙の法などの事を言い、様々な枠組みを使って自分の経験を分析することを言います。マインドフルネスを理解する上で重要な枠組みの一つを、五蓋といいます。これは五つの心の障害のことで、貪欲(欲望)・瞋恚(怒り)・惛沈、睡眠(気持ちの落ち込み、けだるさ)・掉挙、悪作(心のざわつき・後悔)・疑(うたがい)のことです。これらの障害は皆持っていますが、この枠組みを意識し、マインドフルネスを通してそれぞれを直接に認識し、観察することによって、より良い状態を作っていくことができます。

                    文責 楠本亮太郎